TAKABLOのみなさん、おはようございます。本日から新しいYouTubeチャンネルをはじめました。よかったら登録していただけると嬉しいです。
一応、ビデオに登場するキャラクターは「無職のTK (40) 」です。第一回目は、オイラが「 アメリカ移住 した8つの理由」について紹介しています。
今日は、この動画の原稿を参考にブログにするので、動画が嫌いな人はこのブログを読むだけで動画の内容をできるようになっています。それでもチャンネル登録してくれると、やる気が出ます。よろしくお願いします。
子どものころの夢だった
きっかけは、12歳のとき。家族で行ったニューヨーク旅行。はじめての海外旅行でニューヨークに来て、カルチャーショックを受けた。その帰り道、JFK国際空港に向かう途中、「いつか必ずニューヨークに戻る」と心に誓った。日本帰国後も1週間くらいニューヨークを案内してくれたガイドさんのことや、旅で出会った人たちのことを思い出して、数日泣いた。
ハリウッド映画にやられた
10代のオイラは、ハリウッド映画が好きだった。つまらない高校を抜け出してよく映画館に行った。10代の大切な時期に勉強もせず映画ばかり見たせいでアメリカカルチャーに洗脳された。ニューヨークが舞台の映画だと、それだけでワクワクした。早くニューヨークに行きたいという思いが強くなった。
英語をしゃべられるようになりたかった
日本人の英語コンプレックス。敗戦国として、英語が喋られることがかっこいいと洗脳された。英語を話している人がかっこよく見えた。中国語やスペイン語を話している人を見ても何も思わない。やっぱり英語なんだ。
一流になりたければニューヨーク
二十歳のときに知り合ったお金持ちのおばさんが、「一流になりたければ一度はニューヨークに行かないとダメ」と言っていたのを20年経った今でも覚えている。はじめてのお金持ちの知り合いだったので、なぜか説得力があった。
後悔したくなかった
少しでも海外に興味がある人だったら、留学しないと後悔する。ただ、留学は「勢い」と「タイミング」もし、チャンスが巡ってきたら、思い切って踏み出してみよう。チャンスは一度しか訪れない。
日本で仕事に就けなかった
オイラは2007年に大学を卒業して、ファッションの専門学校に進んだ。就職先を探している最中、2008年、リーマンショック。アパレル業界を中心に就職活動を100件くらいしただろうかどこにも就職することができなかった。唯一内定をいただくことができたのは、アメリカからやってきたグルーポン。「うさん臭い会社だな」と感じて内定を断った。10年後、グルーポンは日本を撤退した。そうだ、警察官になろう。これだけ日本の不況が悪化するとやっぱり公務員。公務員専門学校に一年ほど通って勉強したがその年の警視庁警察官の倍率なんと12倍!みんな考えることは同じだった。何度か挑戦したが一次試験には受かるも二次試験で落とされ、結果不合格。年齢的にも公務員は無理そうなので、再度民間の会社に就職しようとしたが、2011年、東日本大震災。日本経済さらに悪化。日本沈没が見えてきた。これだけ就職活動をしても職に就けない若者がいる。この国大丈夫か?若い人を採用するゆとりのない社会に不安を感じた。日本に必要とされていない現実。2011年、オイラはニートになった。日本で全く職に就けなかったことをきっかけに、就職活動も勉強もやめて、皮肉にも子どものころにやりたかったこと、「 アメリカ移住 」に逃げた。本気で日本脱出を考えた。
日本脱出でしょ
2011年、オイラの就職活動を通じて日本沈没の予兆を感じた。多くの人が「正社員」を夢見る時代。日本の社会構造、終身雇用の崩壊。オイラはニートになって、代官山の蔦屋書店に行って留学関連の本を読み漁った。特に心に残ったのが2冊。『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』と大前 研一,柳井 正の『この国を出よ』だ。背中を押された。
アメリカンドリーム
アメリカンドリームなんて既に存在しない。それでも、アメリカに渡るだけでうまくいく気がした。アメリカに移住したい。アメリカに渡れば何か変わるんじゃないか?そんな他力本願な アメリカ移住 。日本からアメリカに逃げてきても、上手くいくはずがない。それでも、その経験が残る。少しは英語をしゃべられるようになる。以上がオイラの「アメリカに移住した理由」だ。物価も高くて税金も高いニューヨークは移住には向かない。それでもニューヨーク好きの方が上回るからニューヨークに移住した。現在ニューヨーク移住11年目。これからも頑張っていこうと思う。